しあわせは大量生産できるのか?【明るい未来のつくり方】


あなたは今まで生きづらいと思ったことはないでしょうか?
誰もが自分の幸せを求めていますが、なかなかうまくいきません。
あなたが幸せになるには、あなたにお金や力や知恵が不足していて、そのためにがむしゃらに努力しているけれどもなかなかうまくいかない。思い描く様な幸せなんて程遠い。これが大多数の人の現実ではないでしょうか。
でも、幸せが簡単に大量生産出来るとしたらどうでしょうか。笑
手っ取り早く幸せになろう!という感じではありませんが、誰でももっとスムーズに幸せになれる方法はあります。
個人の努力で出来ることは限られていますが、大勢で協力する事が出来ればどんなに困難な事でも可能になります。
大量生産は他人の幸せ
突然ですが、あなたは原始人だとします。笑
自分のために石でナイフを作って、それを便利に使っていました。→自分の為
そのナイフの切れ味は素晴らく、集落のみんなが欲しがったのでみんなにナイフを作ってあげました。→他人の為
大量生産することで自分にはメリットはありませんが、作ったものを受け取った人々はその分だけ幸せになれますから、大量生産することは他人の幸せを作っていることになります。
自分用に作る → 自分の幸せ
大量に作る → 他人の幸せ
生産者は他人の幸せを量産して、生産者も消費者なので巡り巡ってみんなが幸せになれます。
大量生産は人類にとってとても素晴らしいはずですが、何故かネガティブなイメージが付きまとうのも事実です。
幸せを大量生産している筈なのに?
どんどん進化した物やサービスが世間に溢れて、私たちは便利で幸せに暮らせる筈ですが、現実は違います。
聞くところによると、縄文時代の労働時間は4時間だったそうですから、ひょっとして現代人は1万年前の縄文人よりも不幸なのかもしれません。
近年では大量に効率よく物やサービスが生産されており、自動化や省力化が進んでいる筈なのですが、多くの人が幸せに暮らしているどころか、長時間労働しなければ生活できない人が増えているのが現実です。
私たちは労働者としての価値が低くなると、同時に消費者としての力も弱まってしまいます。
多くの人が消費しなくなると、多くの労働者は必要無くなるので労働の価値が下がる、すると益々消費しなくなるので労働者の価値は益々下がり…と、悪循環になります。
お金が便利すぎて不幸を大量生産している
労働者はその価値を「お金」と交換していますから、労働者の価値は「お金」で計られます。
労働の本当の価値は見えにくいし、数値化しにくく、理解も難しいので「お金」を価値基準にするととても便利です。
しかも、お金があれば何でも買えるし何でも出来る。大量に持っていても困らない。お金を使ってお金を増やすことすら出来てしまいます。
こんな最強に便利なものは誰でも欲しいです。
だから、誰でもお金を集めたいし、今はお金を多く集めた人が評価される世界になってしまいました。
私たちは今、お金を得るために誰もが悪戦苦闘している、お金中心世界の住人です。
国は経済を中心に動き、経済はもちろんお金中心。会社やあらゆる組織もお金中心で、どうしたら人間が幸せになれるかよりも、どうやってお金を得て組織が生き残るか…という方向で今の社会は動いています。
もちろん戦争にもお金儲けの仕掛けが大きく絡んでいます。
今の世界は「お金」を持っている人が勝ちです。
「幸せ=お金を持っている」という様に多くの人が考えて、「お金」は個人々が競争して掴み取るものなのです。
恐ろしいことに、北斗の拳やマッドマックスの様な、荒廃した世界観を経済で実現してしまいました。
お金こそ正義だぜ、ヒャッハー!
お金の価値については、前回の記事で詳しく説明していますのでご覧ください。↓
幸せを求めているはずが、いつの間にかお金を求めて不幸に
お金持ちだから幸せになるとは限らず、またお金がないから不幸とも言い切れません。
お金さえあれば…というのは個人の問題や悩みを全部ひっくるめて、お金で解決できるというシンプルで強力なイメージがありますが、前述の様に少なくとも、お金を中心に世界が回っているのは、はっきりと間違っていると言えます。
人類が目指すべきは「幸せ」であって、お金ではありません。
目的:幸せ
手段:お金(色んな手段の一つ)
本来はみんな「幸せ」を目指している筈ですが、現状はみんなが「お金」を目指して競争しています。
ほとんどの人は大量の「お金」を手にすることができません。手にすることが困難なものを奪い合うと、最後に行き着くところは戦争です。
直接的に「幸せ」を目指せば奪い合う必要はないので、競争ではなく協力することができます。
ちなみに、幸せは奪い合えません。奪い合った時点で幸せではなくなるので。笑
幸せは大量生産に向いている
大昔から現在に至るまで、多くの賢人達がとても素晴らしい幸福論を唱えたり出版して来ました。
しかし今の人類を見てみると、残念ながら大きな成果があったとは言えない気がします。
幸福論の本を読んで実行したら幸せになった、という人が世間で続出すれば大きな話題になりますが、そんな話は今まで聞いたことがありません。笑
多くの人が幸せになるためには、個人が努力するだけでは無理です。幸せは個人が手作業で作るよりも、みんなで大量生産して市中に行き渡らせる方が簡単なのです。
人々が幸せになる仕組みを社会や文化の中に持たせ、同時に人々が不幸になる仕組みは排除しなければいけません。
幸せを大量生産するのは意外と簡単かもしれない

人々がが幸せになる社会や文化を作るなんてとても難しいのではと思われるかもしれませんが、やることは意外と簡単です。
しかし、本当に難しいのは多くの人が実践するかどうかです。
多くの人が幸せになるためには社会の仕組みや文化として幸せを組み込む必要があるので、出来るだけ多くの人々が下記の内容を目指すということが必要になります。
1. 幸せを目指す
あなたは大金があれば幸せになれると思っていませんか? それは2つの理由で間違っています。
1つは、お金があっても不幸せな人は存在するし、お金がなくても幸せになれるからです。自分の経験ではありませんが、大金が手に入っても幸せは続かないそうです。笑
2つ目の理由は、世界のほぼ全ての人は大金を手にすることが出来ないからです。悲しいことにお金に困らず暮らせる人は世界でほんの数%しかいません。
今の経済の仕組みはネズミ講の様なものです。ネズミ講はピラミッド構造で、お金が下から上に集まる仕組みになっています。
だから、あなたはピラミッドの頂点に立たない限り経済的な自由はありません。お金を追い求めても、ほとんどの人は安定した幸せを手に入れることはできないのです。
しかし、経済(お金)と幸せは別のものなので、幸せを中心に考えて行動することで幸せに近づくことができます。
人生の究極の目標はお金ではなく、幸せを目標に考えて行動しましょう。
2.協力する
自分で幸せを掴もうと努力している人が多いかもしれませんが、幸せを大量生産するのに一人で手作業する必要はありません。
大量生産なので出来るだけ多くの人と協力した方がずっと効率的です。
今まで経済的に競争していた相手でも、幸せのために協力できることははないでしょうか。
他人に少しだけ親切にするだけでも、その日1日が気分良く過ごせて健康にも良い影響があるそうですから、誰かと競争するよりも協力した方が格段に幸せになれます。
わざわざ過酷な競争社会に飛び込みよりも、みんなで協力できる共栄の社会を目指す方が間違いなく幸せになれます。
3.未来は明るい
人間はいろいろ工夫をするので、放っておいても毎年2%づつ成長するそうです。
35年で2倍成長する計算ですから、良い方向に成長を続ければ常に人類の未来は明るいはずです。
私たちが真っ当に正しく成長するためには、正しく幸せを目指して成長する必要があります。
例えば下記のことを意識して生活するだけでも未来は明るいことが実感できるでしょう。
- 個人個人が幸せを考える
- みんなが幸せを目指す(お金は手段)
- 家族や他人と協力して幸せをつくる
漠然と「お金」を奪い合う生き方から「幸せ」に目を向けて協力する様にするだけで未来は明るくなるでしょう。
幸せは天下の回りもの
お金と幸せは全然違うけれど、とても似ているかもしれません。
「金は天下の回りもの」と言いますが、幸せも天下の回りものだからです。
持っているお金をみんなでどんどん使えば、自分にもどんどん戻ってくるというのと同じで、みんなで幸せをどんどんばら撒けば、自分もどんどん幸せになるということです。
量産は他人の為(他人の幸せ)と言いましたが、物やサービスや仕事だけではなく、みんなが他人の幸せのために動けば、回り回って自分にも幸せがやって来ます。
幸か不幸か、これからはIT化で仕事が減ってくると言われています。
協力して幸せをつくるというのは、人類の得意な「大量生産」ではないでしょか。
幸せを大量生産できれば、世界の多くの問題は徐々に解決できるかもしれません。
AI化・自動化で労働時間が減る世の中が近づいていると言われていますが、今後の仕事の定義が「他者の幸せをつくる事」になれば良いのですが、さてどうなるのでしょうか。
最後までご精読いただきまして、心から感謝いたします。ネコズラ★